
最近眼の前の事象や状況を分析、言語化するクセをつけるように努力しています。といっても全然できていないのですが。
年始に外食した際に、隣に居合わせたお客さんの話を書いてみたいと思います。職場の新年会をしていたようで、6人でわいわい盛り上がっていました。駅ビル内の昼時のレストランで、男6人がわいわいと飲み会をしている光景は珍しいです。年明け早々で他に開いてる居酒屋がなかったのでしょう。
かなり下世話な話をしていて、家族や女性客が多い中で目立っていました。
僕は嫌悪感を抱きました。この嫌悪感を分解してみます。
状況
・年始の昼に50代のおっさんが集まり、キャバクラは同伴してなんぼ、とかピンサロの話で盛り上がっている状況
・周りは家族で食事をしている客も多く、おっさんの飲み会はこのグループだけである
・このグループを隣で食事をしている家族の表情が明るくない
この状況を自分の価値観に照らし合わせた時にギャップが生まれるから、「僕はこの人たちが嫌いだ」と感じて、それが嫌悪感となるのですが、自分の価値観とはなんなのか、ふと分からなくなりました。数年前まで僕も”あっち側”で下世話な話で盛り上がっていたはずなので、価値観にギャップがあるのは本当なのか。
ここで、ライフステージが変わり、所属するグループが変わっていることに気づきました。今まで所属していたグループ「アラサー」「独身男性」「通信インフラの仕事」から抜けて、新たに「既婚」「父親」「セキュリティの仕事」「アラフォー」に所属しました。
価値観は近に触れる物や人に合わせ変化するものでもあります。身近にいる人達が違えば、入ってくる情報も変わるし、人間なので認めらたい、喜んでもらいたいという欲求が働くので、身近な人の楽しませたり、身近な人に認めてもらおうとします。そして身近な人が嫌がるような行為は次第をしなくなり、そういった日常の思考、行動が価値観になります。
つまりライフステージと共に自分の所属するグループが変化し、所属グループに合わせた思考や行動を取ることで、価値観が変化し、今まで楽しいと思えたことが嫌悪感になった、というわけです。
単象限で物事をくくって語るのは思考停止のエンターテインメントだと思います。シンプル化することで誰もが意見を述べることができ、根拠や理論は必要なく、感覚でしゃべることができる。人は他人を一括りにして、楽しむ文化があるようです。Z世代は●●だから、独身男性は●●だから、とか。
客観的に眼の前の事を俯瞰して分析すると、上記のような事にたどり着くわけですが、主観的に感情の話をすると、少し寂しい気持ちにもなりました。あぁ、もう僕はそっちの世界からは離れてしまったんだな、と。以前と仲間とは同じ話題では腹の底から笑いあうことはもうできないのかと。
人間、自分がどのグループに所属しているのかを気にする生き物です。同じ価値観、一緒にいて楽しい人たちのグループに身を置けば安心感や高揚感を得られます。グループに所属している時には、そのグループ外の人からどう思われているのか、当事者たちは感じにくい。外のグループに入り、そのグループを出ることで客観的に元いたグループを見ることができる。生きている間に色々なグループに所属して、色々な価値観を味わってみたいものです。